特別寄稿 静岡市在住I様 米ぬか酵素静岡丸子店オーナー

便秘・下痢を繰り返したり、残便感、下血の症状があったりした為、横浜のとある病院(以前、痔の手術をしたクリニック)で、内視鏡検査を受けました。その結果、「ポリープではなく直腸癌です。直ぐに手術をした方が良い」とはっきりとした口調で告知されました。それが、五年前の一月の事です。
宣告を受けての感想は「やはりそうなのか」といったものでした。正直自分でも不思議ですが、余り落ち込むといった風ではなかったと記憶しています。「それなら、これからもっともっと行きたい所へ行こう、やりたいことを目一杯やってみよう」なんて、負け惜しみではなく本当にそんな風に考え、一瞬ですが死を受け入れていた様な気もします。そして、地元静岡の総合病院への紹介状を書いて頂き帰宅しました。(実はライブハウスへ寄り道してからの帰宅でしたが…笑)

総合病院では、早々に手術日・入院の手配と共に入院前の検査が始まりました。しかし、その途中、徒(いたずら)に体力の消耗を促す検査に疑問を抱きました。体力の消耗により免疫が今より下がっては逆に危険なのでは、と感じたのです。明日、明後日の間に命に関わるものとも限らないし、次回からの検査をキャンセルし、もう少し自分なりに色々な情報を見聞きしてみようと思いました。
担当の医師には、すぐには手術をしたくない旨を伝えましたが、その後何度も電話連絡があったり、時間外に話し合ったりもしました。ある時には「早く手術しないと余命二年くらいですよ」と脅かされもしました。それでも私は、「それならそれで仕方ないですね。」なんて答えていました。というのも、私は癌が発覚する以前から、大変多くの健康セミナー等に参加をしており、そこで、「癌治療として行われる手術後の抗がん剤投与や放射線治療は、人間が本来持つ免疫力の低下を招き、今度は逆に癌転移の心配が出てくる」と言う話を何度も聞いていたのです。

免疫力・・・その言葉でふと思い出したのが米ぬか酵素のオーナーであるKご夫妻のことでした。すぐに以前頂いてあった名刺を探し出し、Kご夫妻のもとに相談に行ったのです。
お話を聞かせていただくと、オーナーご自身も大腸癌から肝臓への転移を一日二回の酵素風呂への入酵で克服なさったとのことでした。それを聞き、「よし!私もそちらの代替医療の可能性にかけてみよう!」と、米ぬか酵素一本で癌を克服する決意をしたのです。
その翌日から毎日六ヶ月間、米ぬか酵素へとにかく通い続けました。その節は定休日にも入酵(米ぬか酵素に入ること)させて頂き感謝の念を禁じえません。それまでしていた仕事もそのまま継続し、長年の悩みであった冷え性も改善され、それでも癌による痛みは少しありましたが、身体自体はそれまで通り元気に過ごすことができました。

さて、半年経ったところで病院での注腸検査をし、癌の大きさを確認したのですが、結論から言うと私の癌は消えていませんでした。
元々家族の反対を押し切っての代替医療であったことと、さすがに痛みも来ていたことから、とにかく癌だけは身体の外へ出してしまおうと決めました。苦渋の決断でした。しかし、医師に手術のお願いをしたところ「たとえ手術しても、癌ができている箇所が肛門の直上なので90パーセントの確率で人工肛門になります」と淡々と言われてしまいました。これには癌の宣告では落ち込む事のなかった私も、さすがにショックでした。

私は、人工肛門だけは避けたいと思い、インターネットで直腸癌手術の名医と呼ばれる医師を検索し、東京はT病院のS医師に辿り着きました。S医師によると、なんと人工肛門どころか開腹手術も回避し、腹腔鏡下(ふくくうきょうか)手術で癌を除去することが可能とのことでした。私は、人工肛門を避ける事が可能ならば、どこにでも行く覚悟でいましたので、この事実はとても幸運なものでした。
手術は無事成功しました。毎日酵素浴に入っていたことで、免疫力・自然治癒力もかなり上がっていたのでしょう。手術後の回復は順調そのもので、手術翌日から歩行も出来、私の歩く後ろ姿を見た先生からも、「ケチのつけようの無い回復力ですね!」とのお墨付きを頂く程でした。薬もほとんど飲まず、痛み止めも必要がないくらいでした。
入院も二週間程度で済み、退院の日には快気祝いということで家族と居酒屋へ行きました。あんなにすぐに普通食を摂取することができたことは自分でも驚きでした。
又、翌日からは一日足りとて床に伏すこと無く、翌月からは仕事への復帰も果たし、全くもってこれまで通りの生活に戻っていました。ただ一点、手術で直腸を切除していますので排便に対しての後遺症だけは逃れられませんでしたが…。
術後のケアが大事だと言われていましたし、自分でも転移の心配が無いように続けて免疫力を上げておかなければ、とは思っていましたので、米ぬか酵素へはそれからも定期的に通っていました。処方されていた経口抗癌剤は一度も飲むことなく、放射線治療も勿論一度もやっていません。退院後三、四ヶ月間の血液検査後から、これを記している今日まで、約五年間一度も病院へは掛かっていません。

そんなある日、米ぬか酵素のKご夫妻から「五年前のIさんのように、米ぬか酵素を必要としている方は沢山いる。病気の体験(医療への考え方、克服するまでの生活習慣等)を伝える場という意味も含めて、Iさんも自分で米ぬか酵素のお店を出してみたらどうか」という提案を頂きました。
大学を卒業したものの、このご時世で中々就職の決まらない息子に一緒にやってみないかと相談したところ、二つ返事で「じゃあやってみよう」という言葉が返ってきました。正直断られると思っていた私は思いも寄らない返事に驚きました。それからすぐに、Kさん指導の元、開店への準備が始まり、そこから順調な日々を過ごし現在に至るまでは、あっという間だったなという印象です。

息子と一緒に開店してもうすぐ一年になりますが、自己免疫疾患の方、自律神経のバランスが崩れてしまっている方、癌治療の化学療法で免疫を落とし癌が転移してしまった方、そういった方のなんとも多いことに愕然とさせられる毎日です。と共に、私の店舗に入酵に来られる方から喜びの言葉を頂くことも少なくありません。
酵素浴へ入ってから体調がよくなった。食欲が出てよく眠れるようになった。大変なアレルギーが改善された。冷え性が改善された。不妊で悩んでいた方に赤ちゃんが出来たなんてこともありました。
初めてご来店された時に体調が芳しくないと仰っていた方々が日に日に元気になっていく姿を見ることは、私を笑顔にしてくれると共に、一度は死を受け入れもした私に生きがいを与えてくれています。

現在、お店には元気で年齢の若い方々も大勢お見えになっていて、若年層にも健康への関心が強まっている事を確認させられます。こういった現象は周りにご病気の方々が多いせいなのかも知れません。
私が酵素温熱免疫療法で癌を克服した事実を伝えることで、今悩んだり迷ったりしていらっしゃる方々に少しでも参考にして頂けたら、少しでも力になることができたら、といつも願っています。病気は誰も治してくれません。自身の免疫力や自然治癒力を高め、最終的に治すのは自身の意志だと思います。

偉そうに書きましたが、私も癌になってから大変沢山の書籍(安保先生・船瀬先生等)を読み漁りました。時として不安になることもありましたが、その度に何度も何度も読み返し、やっぱりこれで良いんだと自分に言い聞かせては前に進みました。気を落とした事はありません。何をするのにも一番大切な事は自分の気の持ち方だと思っています。
もし病気になってしまったら、とにかく他人任せにしないで自身で調べることをし、考えて、悩んで、ご自身で結論を出して下さい。
沢山の書籍の中で「温熱療法は癌に効く」とは書かかれていますが、その温熱療法とは何をしたら良いのかということはほとんど書かれていません。その手立てについて良くわからないのが現状です。Kご夫妻から酵素温熱免疫療法を教えていただけた私は、本当にラッキーな事だったなと、感謝の気持ちでいっぱいです。癌になっていなかったらひょっとして米ぬか酵素にも出会っていないのかも?と思うと癌にも感謝できてしまいます。

今現在、ほぼ毎日自分の店の酵素浴に入っている私を始め私の家族は、ほとんど病気に掛かることがありません。免疫力、自然治癒力が高められ、また、身体にとても重要な自律神経の調整も成されているためでしょう。このまま現在の健康体を維持して行くことができれば、安心して明るい老後を過ごす事ができそうです。
私のように米ぬか酵素のお店を出される方が増えることで、もっと大勢の方々に米ぬか酵素、酵素温熱免疫療法の持つ大きな意味を知ってもらいたいと思っています。

長くなりましたが最後に、これから米ぬか酵素を発展させていくことで、国民全体の医療費を削減させること、沢山の方々の健康維持に貢献をすること、がKご夫妻の願いです。私は微力ながらそのお手伝いをさせて頂くことで、癌を克服できたことの恩返しになればと思っています。

「体調管理に思うこと」藤枝市水上在住F様 67歳 元外資系多国籍企業社員

我々の身体は、どこか一部の機能が少しでも異常(外科的・内科的疾病)になると、今迄当たり前に出来ていた日常生活にも支障をきたします。

65歳で退職してからは、このように体のバランスが崩れ不自由な生活を余儀なくせざるを得なくなる前に、体のバランスを正常に保つ事が、最善の自己防衛になると常常考えていました。

 

また、今日の社会情勢に於いては、バランスを崩す原因(生活習慣、食生活、休養、ストレス等)は多々ありますが、原因の中には色々なものが含まれているため、どれが本当に体によくないのかもわかりません。

人間ですから感情はあるのは当然ですが。

 

丁度その頃、近所の人の紹介で、米ぬか酵素浴に出会い、冷やかしのつもりで体験しました。 しかしこの3年間、米ぬか酵素の作用による免疫力アップと自然治癒力を信じ、常にこれらを念頭におき継続する事が、自分の体調を維持する道であるという心境になっています。

 

そして、今や自然の摂理にさかわからず、米ぬか酵素浴の利用は、自分の健康管理を酵素頼みにすると云うのではなく, 自己の希望(健康体)を願い忠実に実行することで結果が出ると、自分に言い聞かせている毎日です。

「4期がんからの脱出に向けて(前立腺がん)」藤枝市高洲在住 S様 72歳 元静岡県庁職員 平成24年1月に記す 

 「先日行いました前立腺がん検診の結果、精密検査(二次検診)が必要となりました。 志太医師会指定の医療機関で早めに検査を受けてください。」

こうした文書とともに、平成2164日に行なった市の特定健康審査の報告書が添付されていた。 焦る気持ちを抑えて報告書を開けてみると、前立腺がんのPSA値(腫瘍マーカー)81.4という数字が目に飛び込んできた。

 

静岡市内にある勤務先を66歳で退職するまでは毎年前立腺がん検診を行なっていたがPSA値が0.8を上回ることは一度もなかった。  市から配布されてくるパンフレットを見ても、そのような状況が続いている場合には3年に一度程度の受診でもかまわないということであったので、退職後の平成187月に受診したPSA値の結果が0.86と精密検査不要であったこともあり、その後一般検診のみで前立腺がんの受診申し込みをすることなく3年経過し、平成21年に受診した結果が従来の100倍という異常に高い数値となっていた。

 

体に痛みもないし自覚症状もないので、何かの間違いであって欲しいという祈るような気持ちを持ちながら、626日に指定開業医である近くの北川医院(泌尿器科)に行き再度の検査を受けた。 その結果は、PSA99.01と更に上がり、医師が肛門から指を入れて触診したところ違和感があるので更に詳しい検査(三次検診)を受けるようにとのことであった。

 

北川医院の紹介状を持って藤枝市立病院に行き、713日から15日までの3日間検査入院し、その後も度々病院に出向きCTや骨シンチなどの諸検査を受けた。 810日にすべての検査結果が出揃ったところで主治医から

・前立腺の8箇所を採取してがん細胞を確認したところ6箇所ががんであった

・血液検査の結果PSA値は130と高めであった。

・前立腺がんの病期をAからDまでの4段階に分類すると悪性度の高い病期Dに該当し、エコー検査結果でも転移が骨やリンパ節に及んでいる可能性が高いことを示している。  従って、手術や放射線療法はできないので、今後薬剤内分泌療法で治療を進める。 先ずリュープリン注射から始めるが副作用として肝機能の悪化があるのでもろもろの対策を採っていくとのことであった。

 

主治医の話を聞いて目の前が真っ暗になって、この先どうして行こうかと悩みつつ、恐る恐るセカンドオピニオンとして県立がんセンターの受診を申し入れた。 主治医はあまりいい顔をしなかったが、女性看護師が諸手続きを気持ちよくやってくれたので救われた気持ちになった。

 

9月に入り、県立がんセンターに妻と一緒に出向き、医師から話を聞いてみたが、市立病院の診断どうりで、ここまで来ると手術や放射線療法ができず、これから治療しても治る可能性は少ないことを悟った。 医師からは、診立ては同じであるからこれからも近くの市立病院で診てもらったほうがよいのではないかた言われた。 また、内分泌療法による薬には副作用もあり、これから先のことはなんとも言えない。 余命についてもやってみなければわからないとう率直な回答があった。 妻と帰りの電車の中で、涙ながらもうこの先そんなに長くないだろうから身辺整理を始めようということになった。

以前から積み立ててきた葬儀会社のセレモニーホールが焼津市内にあったが、これでは遠すぎて会葬者に不便で迷惑をかけることになるので、自宅の近くに出来た「メモリアルハウス」に苦労の末切り替えた。 借金や預金の整理精算も始めた。

 

そんな時、妻がこんなことを言った。「あなた、以前、錦野クリニックの院長が主催して行なった公開講座を受講した際、講師から「米ぬか酵素風呂」について話があった。 医師に見離されたからには良いということはこれからやってみようよ・・・」  妻は錦野先生に大手術の末一命を取り留めていただいたということもあり、先生の言うことは神の声で、すぐに実行に移すよう促した。以前、良い住宅地がないかと捜しに行った際に見かけたという記憶を頼りに探し訪ねて「酵素温熱免疫療法の米ぬか酵素」に行き、15分間のお試し入浴をしてみた。 9月に入ったとはいえ、まだ暑い日であったこともあり、とても15分入っていることができず、もうこりごりだと以後行くことを止めた。

一回限りで止めたことで妻が非常に悲しみにくれていたのが耐えられず、10日以上過ぎてから再度行くことにした。

 

健康アドバイザー(経営者)の黒田さんによると、「米ぬか酵素浴は免疫細胞を全身的にバランスよく活性化させ自己治癒力を高める効果がある。 がんと戦う免疫力、生命力を高めることが大切。 体を温め、ストレスをなくし食事や水にも配慮が必要」等等の話を受けた。また、PSA値が極端に高いというダメージの大きい場合には、数ヶ月毎日朝夕の2回入浴すれば改善に向かうかもしれないという心強い言葉を聞き早速取り組むことにした。 町内会の仕事も多く抱え、なかなか朝夕2回というのは困難を極めた。 しかし、何をおいても入浴することを最優先に考え実行した。

PSAの数値はその後毎回下がり、4ヶ月を経過したころには、あの130が0.02と驚異的な数値にまで下がり、今まで悩んでいたことがうそではないかと思えるほど改善に向かった。 数値も下がったことでもあり、以後は入浴回数を次第に減らし、今では毎週一回程度出向くという生活を続けている。  一方病院には、45日に一回出かけ診察を受けており、平成23年12月に行なったCT検査によってもリンパ節や骨への転移は見つからず問題はなかった。

 

県立がんセンターで診察した際にあったリンパ節や骨への転移がなくなっているとはどういうことか。 完全に治ることはないにしても今は収まっているとはありがたいことである。 「病は気から」というように気持ちの持ち方ひとつで体の調子が変わるという自然治癒力を信じ、睡眠を充分とり、寝るときも靴下を履き、そして毎日温かい風呂に入り、しっかり体を温めることに心がけている。 それからストレスをためすぎないよう日頃から健康管理に注意し適度の運動をしていきたいと思う。

 

今一番力を入れていることは食事に留意することで、毎回玄米食を中心にヨーグルトを食べ、蘇生するエネルギーに満ちた飲料水を使用している。 また前立腺がんに効くというリコピンを多く含んだトマトをなるべく多く食べるよう心がけている。

 

私はいま72歳になり、平均寿命からみてもこの先そう長く生きられるとも思わないが、せめて悔いのない人生を送りたいと思う。 妻は、体に良いからといって、毎晩リンゴ、レモン、セロリ、キウイ、トマト、キャベツ、ブロッコリー、大根やその葉などの野菜をふんだんに使ったジュースを作って飲ませてくれている。

妻の協力なくしてはここまで回復することもなかったと感謝している。

 

今まで、免疫力、生命力を極端に低下させる抗ガン剤を避けてきているが、これからもこうした生活が長く続くようずっと米ぬか酵素浴のお世話になっていきたいと思うこのごろである

「私の体験・・・甲状腺機能障害と薬疹から解放されて」藤枝市在住F様 60代主婦

米ぬか酵素に出会って4年近くになります。 ひどい甲状腺亢進症になり、お医者さんには「今飲んでいるお薬を3年は飲んで、その後様子を観て、また考えましょう」と言われていました。 一応甲状腺の数値は徐々に正常に近くなっていたのですが、肝機能の数値はあまりはかばかしくありませんでした。 お薬を飲み始めて1年くらい経った時、体にポツポツと赤い発疹が出来始め、かゆくて、かゆくて困り、先生に「薬疹では?」とお尋ねしたところ、「この薬でそんなものが出るはずがないから皮膚科を受診するように」と言われました。

 

最初の皮膚科では、夏でしたので「蚊に刺されたのではないか」と、軟膏を処方されました。 また次の皮膚科では、「この発疹が何であり、どうして出てきたのかを調べるのは大変だし、分からないと思う」と言われ、やはり軟膏を処方されました。 どうしたものかと思っていた時に、米ぬか酵素の黒田さんに「一度薬を全部止めて、当分酵素浴に通ってみれば」とアドバイスを受け、それまで週2-3回通っていたのを毎日に切り替えました。 最初は酵素浴から出ても、休憩室のベッドに倒れ込むのが常でしたが、1ヶ月後位からは、お風呂から出ても、ベッドに倒れ込むこともなく、甲状腺の数値は薬を止めてもぜんぜん上がりませんでした。 3ヶ月後には発疹も出なくなりましたが、念のため、6ヶ月間毎日通いました。 今はすっかり元気になり、米ぬか酵素の力は凄いとあらためて思いました。 体の免疫力を保つため、今もせっせとお酵素浴通いです。

「私の体験・・・最悪のアトピーを乗り越えて」掛川市在住30代女性 元医療関係専門職

私がアトピー性皮膚炎と診断されたのは30歳を過ぎてからです。左頬にできた小さな湿疹とかさつきが治らず、最初は軽い気持ちで知人からもらったステロイドを使用しました。しかし、症状が改善し塗布をやめると、前の状態よりも症状が悪化してしまいました。そのため、皮膚科を受診することにしました。早く治したいという焦りもあり、3年間で病院を5軒変えました。丁寧な生活指導をしてくれる病院もありましたが、その指導が厳し過ぎ(例えば日光を防ぐための帽子を持っているか荷物の中まで見られるなど)病院に行くこと自体がストレスになりました。他の病院では、口唇の痛みを相談した時に「チューのしすぎ!!!」と冗談を言われました。職場の上司に促されて検査のために受診した総合病院では、「原因が分からないからアトピーと言うんです」と説明があり、アトピー用の化粧品サンプルをもらって帰宅しました。最後に通院していた病院では、症状にあわせてステロイドの内服・塗布と自費の漢方の煎じ薬を併用しましたが、症状がなくなることはありませんでした。

ステロイドを塗布すると皮膚にチリチリとした違和感が出るようになり、何度となく離脱を試みました。しかし、顔の腫れや痒み・痛み・浸出液がひどく、仕事にも支障がでるため、結局ステロイドを塗布することを繰り返しました。その頃には、自分の皮膚の悪化がアトピーのせいなのか、ステロイドのせいなのか、わからなくなっていました。私の腫れた顔を見て、いろいろな人が化粧品や健康食品を勧めてくれました。病院の治療では根本的に治すのは難しいかもしれないと感じていたため、勧められた事や自分で情報収集して良いと思ったことをとりあえず試してみました。体を温め、添加物を抑えた食事にし、衣服やスキンケア用品も刺激の少ない物のみ使用。なるべく日光に当たらないよう注意して過ごしました。その他にも、しいたけの戻し汁を飲んだり、お祓いに行ったり、朝夕半身浴をしたり、ごぼうのすりおろしを顔にパックしたり、ごぼうの種を飲んでみたり、毎朝顔にオイルを塗布して温湿布をしたり、もう毎日毎日やることが多くて忙しくて大変になっていました。

そのような状態の時に、職場の上司が米ぬか酵素浴を紹介してくれました。しかし、なかなか行く気になれず、紹介されてからお試しに行くまでに2カ月近くが経ってしまいました。半信半疑でのお試しでしたが、一度体験して体に良いと感じました。黒田さんに米ぬか酵素浴の効果について説明していただき、ステロイドで症状を抑えながら米ぬか酵素浴に通うのでは意味がないと思いました。自分でも免疫や酵素の本を読み、何故米ぬか酵素浴が体に良いのか、また、今自分の体で何が起こっているかを自分なりに勉強しました。米ぬか酵素浴に毎日通ってアトピーを治すと決め、ステロイドの内服・塗り薬は全部捨てました。でも、かゆみ止めの内服薬だけはちょっぴり残しておきました。

ステロイドの塗布をやめると数日で顔中から浸出液がではじめました。浸出液は首から胸のあたりまで広がり、ネトネトバリバリとまとわりつき、痛くて痒くて最悪。顔~首まで腫れ上がり、特に目の周りが燃えるように熱くて痛い。黒田さんに「こんなことになっちゃいました…。」と相談すると、「炎症。今、白血球が戦って、まさに燃え上っているところなんだね。自分の体が良くなろうと異物を追い出そうと頑張っている証拠。」と言われ、納得しました。しばらくは腫れた顔で仕事に行っていましたが、業務に集中できず、人と接することへのストレスが強くなったので、長期の有給休暇をとることにしました。外出時には周囲にじろじろ見られているような気がして辛くなる一方、知人が見るに耐えないという感じで目を合わせてくれないのが苦痛でした。精神的に不安定になることもありましたが、米ぬか酵素浴で励まされ、家族や友人が負担にならない程度に気分転換に誘ってくれることが心の支えになりました。症状は良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、徐々に軽くなっていきました。酵素浴に通いだして3カ月ほど経った頃、体中に蕁麻疹ができてクリーム色と青紫色のまだら模様に腫れ上がり、発熱と下痢がおきました。自分の状態を少し不安に思いましたが、「免疫があがって、体が毒物を排泄しリセットしようとしている。」と考え、水分と消化の良い物を摂って休養すると2~3日で症状がおさまりました。それを境に皮膚から浸出液が出なくなり、湿疹も消えていきました。

その後状態が落ち着いたため、職場に復帰しました。職場に戻ってしばらくは仕事帰りに酵素浴に通っていましたが、徐々に多忙になり回数が減り、そのうちに行かなくなってしまいました。皮膚の状態は完全に良くなったわけではなく、月に何度かは顔や首がかさつき、腫れることもありました。仕事が忙しくなるにつれ、徐々に皮膚の状態が悪くなりましたが、サプリメントや栄養ドリンク等を常用し、なんとかしのいでいました。しかし、仕事に目処がついた途端に顔中に小さな湿疹ができ、その後顔が赤黒く腫れ始めました。この状態では仕事は無理と考え、長期の有給休暇をもらい、すぐに米ぬか酵素浴の予約をして毎日通い始めました。目尻・口角・首・脇・肘・耳が切れ、浸出液がダラダラ流れる。胸から上に湿疹ができ、そこからも浸出液が流れる。痒くて我慢できず、掻いてしまうとそのあと痛くて自己嫌悪。でも掻かずにはいられない!の繰り返しでした。夜も痒くて眠れず明け方にウトウトし、なんとか体を起して酵素浴に行って、帰ってきて横になる。浸出液と血液で汚れたタオルやシーツを洗うのが毎日の日課になりました。痒みが強い時には、自宅のお風呂にゆっくりと入り汗をかいて、悪い物を体外に出すようにしました。症状は次々と変化していろいろな所にあらわれて、「体の中にどれだけ悪い物をため込んだんだろう…。」と、我ながら感心。眼ヤニがダラダラ出て目の周囲がパンパンに腫れ、眼球を動かすのさえ痛くなった時と、耳掃除をしようと思ったら、耳の中まで腫れていて綿棒が耳の穴に入らなかった時には、驚いて友人にメールで報告しました。米ぬか酵素浴に通って免疫をあげ、毒を出し切れば楽になる!と思ってはいましたが、辛くてたまらず、何度か一人で泣きました。様々な症状は、「昨日に比べて少し顔の腫れが軽い。」とか「食事が食べやすいと思ったら、今日は口角が切れてない。」というように、少しずつ消えていきました。やはり、3か月ほど経った頃に発熱しましたが、下痢や前回のようなひどい蕁麻疹にはなりませんでした。首の腫れと黒ずみ、両手首~指にかけての腫れと湿疹が最後まで残りましたが、日を追うごとに消えていきました。
 
現在、皮膚の状態は落ち着いていて、簡単なスキンケアですむようになり、生活がとても楽になりました。目の周りの痒みやかさつき、衣類の締め付けなどによる蕁麻疹がでることもありますが、「疲れているという体からのサイン」と考え、体を温め十分な睡眠をとるなどの対処をしています。また、今でも1週間に1回は米ぬか酵素浴に入り、免疫を下げないように心掛けています。辛く大変な体験でしたが、今振り返ると、生活や思考パターンを変える良い機会になりました。自分の体験を活かし、辛い症状に悩む人たちをサポートしたいと思いながら、米ぬか酵素浴でお手伝いをする今日この頃です。